歴史

5.バトンの誕生

昭和50年当時、六大学応援団の中でバトンが存在しないのは東大と早稲田のみであった。といっても明治・法政のバトンが神宮に登場したばかりの頃だ。六大学応援団連盟としてバトン部導入について意見はさまざまに割れていた。東大にもバトンをという声はそれまでにもあり、シーズンに一日だけ目白女子短大のバトン部に依頼するなどしていた。そんな昭和51年春、予備校生当時から東大野球部のファンであった松島みどりが入部し、バトン部創設を熱烈に希望した、女子新入生176人全てにはがきを出すなど新入生勧誘に乗り出したが、苦戦は続いた。幸い一名の入部が決まり、当時法政のバトン3年浅井直湖さんのご協力を賜り、5月東大応援部バトン部がスタートを切った。

しかし、各校のバトンは、依然六大学応援団連盟において正式に認められた存在ではなく、その後も認可の問題は先送りされつづけ正式にバトン部が連盟に認められたのは昭和60年のことだった。

平成6年、それまでの「バトントワラーズ」から「チアリーダーズ」へと改名し、さらに、平成8年には「KRANZ」と名づけられ、より積極的に人に働きかけていく存在として、更なる発展を続けている。