歴史

2.東京六大学応援団連盟の結成

昭和21年秋リーグ後、東大に応援部が発足すると、すぐに「東京六大学応援団連盟」結成の話が他の五大学から持ちかけられた。

戦後の荒廃期、学園には虚脱と暴力が蔓延していた。心を活性化できるはずのスポーツも安心して楽しめるような状況ではなく、六大学野球でも学生同士のいざこざは絶えなかった。学園、学生の士気を高めようと燃えていた応援団員にとり、トラブル防止のためにも六大学応援団連盟結成は急務であるとの認識が広がっていたのである。そして昭和22年5月19日丸の内中央亭で東京六大学応援団連盟結成式がもたれた。南原総長は精神のルネッサンスを可能にするために健全なるスポーツの再建こそが応援団の使命であり、やくざの集まりぐらいにしか認識されていない応援団から脱却して紳士としてのリーダーシップを発揮すべきであるというご趣旨の激励のご挨拶を下さり、出席者に深い感銘を与えた。

昭和26年、六大学連盟に他の応援団連盟から全日本大学応援団連盟を作ろうという、話が持ち込まれた。これに対し六大学内部でも賛否が分かれた。しかし東大は、全日本連盟結成の趣意書にある校内右翼的なスローガンに猛反発、断固拒否の一貫した姿勢をとった。

明るく活気にあふれた大学への推進力として生まれた東大応援部にとって、「応援団」が持つ右翼的発想は過去の亡霊でしかなかったのだ。連盟結成を申し込んだ大学から連日のように東大に使者が訪れた。執拗な説得に応じない東大に対し、脅迫や尾行まがいのことまでなされた。それでも東大は六大学応援団連盟除名も辞さぬ反対の構えを取りつづけ、結局、六大学諸連盟規約にある全会一致の原則から、全日本応援団連盟に加わるという話は阻止された。その後六大学応援団連盟がたどった足跡を俯瞰すると、歴史は東大の正当性を証明したといえるのではなかろうか。